
著者の序文より抜粋
この本の目的は、一般相対論までの内容をごまかしなく伝えることである。しかし私が挑戦したいは、第一の目的を少しも損なうことなく、読者の負担が最小となるような形でまとめ上げることである。そういう本を手にすることが可能かどうか、私自身が知りたくて作るのだ。
相対論に関する本は幾らでも世に出回っているが、有給の研究者によって書かれた教科書の割合は少ないように思える。この本もまた、その割合を下げようとしている。
教科書というのは専門家を目指す学生を助ける為に書かれることが多いので、非常に厳しい書き方になっている。普通の人が興味本位でそういう本に手を出すとその中身が非常に不親切だと感じるわけだが、それは学生を鍛える為なのだから仕方がない。専門家は一般の人向けにも本を書くことがあるが、出版社の要望によるのか、今度は数式がほとんど出てこないものに仕上がってくる。相対論はアイデア自体は単純なので、数式なしで説明しようと思えば数ページで終わってしまう。本にするためには何とか話を膨らませて面白くしないといけないが、数式に頼ることなく理論の結果だけをあれこれと書かれても、狐につままれたような気分になるだけである。
学問というものは、初心者向けにわざわざ面白おかしく書こうと苦労しなくても、分かりやすく在りのままを書けば面白いだろうと思う。私は相対論が面白いと思っているので、それがそのまま伝わればいいと願っている。その際、「何を書かないか」という選択が重要であろう。余計なことでページを増やして本の価格を上げたくはないので言いたいことだけを書こうと思うのだが、それでも伝えたいことは山ほどあるのだ。私自身がこれまで勉強してきてつまづいた部分が多くあるので、今後同じことで多くの人が悩まなくても済むような秘訣みたいなものをさりげなく散りばめたいという思いもある。
この本の内容のほとんどは、元々インターネット上で公開されたものである。私が趣味で始めた「EMAN の物理学」というサイトの中に相対論について解説した部分があり、それをベースにしてまとめられている。インターネットを使える環境にある人はこの本の元になった記事を今でも変わらず無料で読むことができる。それどころか、この本に載せることのできなかった記事も幾つかある。それらは私の勉強が進むにつれてこれからも増え続けるだろう。
しかしネットの記事をそのまま本にしたというわけではない。本にするからには、それなりに気を遣わないといけない。ネット上で書き始めたのはもう何年も前のことであり、今となっては誤解だったと気付くことのできた部分もあるし、時間をかけて勉強している内に考えが少しずつ変わってきて、思想が一貫していないところも出てきている。本として載せるには少々無責任だと思える議論も、面白そうだからという理由でネット上には残してあったりする。ネット上の記事はいつでも書き換えができるという安心感があって、手付かずになってしまうことが良くあるわけだ。本としてまとめるにあたって、全ての誤りを取り除くことができたかというと、自信はない。私自身がまだ勉強中であるし、今でも時々、ある部分の説明の仕方が不適切だとか、数式の変形が間違っているとかいう指摘を頂いたりする。そういうことはこれからもたびたびあるだろうと思う。どうか私を過度に信用することなく、自分の知性に頼って読んで欲しい。
私はこの本を、できるだけ肩の力を抜いて、電車の中でも布団の中でも読める本にしたいとも思っている。相対論の本というのはそれが啓蒙書であっても、やれ光速の何十パーセントだ、そのときの時間の遅れは何パーセントだ、誰それから見た相対速度はこれくらいだという話で一杯になって、やがていちいち状況を把握するのが面倒になり、著者を全面的に信用して読み流すようになってくる。そうなると読み進めること自体がだんだん無意味に思えてきて、もし明日元気があったらもう一度ここを読み直してみようか、それとも今すぐ気力を振り絞ってベッドから起き出して紙とペンを取って来て、検証しながら読んだ方がいいだろうかという葛藤が始まるものである。
比較的自由な時間のある若者には、この苦しみが実感できないかも知れない。勉強する為には、実際に自分の手を動かして複雑な問題を解いてみるのは当然だとか思っている人もあるだろう。それによる効用は決して否定しないが、それができないほど疲れ切った状況にある人が、わずかな時間を使って学問を楽しんでもいいではないか、と私は思うのだ。
それで私は、状況把握の面倒臭さに読書の邪魔をされるのではなく、もっと問題の本質的な部分で頭を使ってもらえるようにしたいと思っている。たとえそこに紙とペンがなくても、目を閉じればいつでも心のスクリーンに問題が描けるような・・・。その問題の答えがどうしても気になってしまえば、その人はやがて自分の意志で紙とペンを取りに行くだろう。それがその人にとっての「趣味で相対論」の始まりだ。
ところで、これを読んで下さっている人の中には専門家を目指そうという人もいらっしゃるだろう。そういう人は、常日頃からペンを持って訓練を続けていて欲しい。その鍛えられた計算力と、多くの経験による物事の包括的な把握力が専門家の武器であるからだ。
しかしそのような研ぎ澄まされた武器を持たないからと言って、趣味の人がこの分野に足を踏み入れるのをけしからんことだと非難しないで欲しいと思う。誰かがわざわざ彼らを追い返すようなことをしなくとも、もしその人が努力を続けないのなら、大自然が、その人に理解されるのを拒むだろう。


